三四郎池 |
現在の東京大学本郷キャンパスは、加賀藩主 前田利常が元和3年(1617年)頃に江戸藩邸として排領しました。寛永6年(1629年) 徳川秀忠・家光公の訪問に際して庭園の整備が始まったとされています。この時、三四郎池も造られたと考えられています。
八勝八境の数奇をきわめた庭園は、5代藩主 前田綱紀によって、「育徳園」として命名され、元禄15年(1702年)には徳川綱吉公が500人もの共を連れて訪れています。
明治維新後、加賀藩邸は官有地となり、明治10年(1877年)東京大学が設立されました。以後、大学の発展に伴い、三四郎池は面積を縮小してきました。関東大震災の際には、三四郎池の水が消防用水に用いられ、三四郎池の森が避難場所になったと言われています。関東大震災以降は、三四郎池の大きさに変更はありません。
三四郎池は「心」の字の形をしているので、正式名称は「育徳園心字池」なのですが、夏目漱石の小説「三四郎」の舞台として知らるようになり、三四郎池の名で親しまれるようになりました。
東京大学内にある三四郎池に行ってきました。
赤門をくぐり中に大学内に入ります。勝手に入っていいものか不安でしたが、買い物帰りの主婦や子供連れなど大学内で多く見かけましたので、誰でも自由に入れるようです。
鬱蒼とした林があり、階段を下りていくと三四郎池に着きます。まず池の水が深い緑なのが印象的でした。池の水は循環しているそうですが、排水があまりされていなのではないでしょうか。
池は周囲を散策することができます。場所によっては荒々しい石の園路になっているので、ハイヒールなどではきついかもしれないですね。池の水はところどころ澱んでいますが、異臭はしませんでした。
正直、そんなに気持ちのよい場所とも思えませんでしたが、大学内に残った江戸の庭園としては貴重ではないでしょうか。