自然教育園 |
正式名称は「国立科学博物館附属自然教育園」。ここ白金台地は洪積世(20~50万年前)に海食によって作られ、縄文時代中期(約2500年前)の土器や貝塚が発見されていることから、このころに人が住みついたと考えられています。
平安時代には水田が開墾され、台地の広々とした原野には染料として使われたムラサキの栽培も広範囲に行われていたと言われています。
室町時代には、白金長者と呼ばれる豪族が館を構え、今も残る土塁は当時の遺構と考えられています。
江戸時代になると、増上寺の管理下に置かれましたが、寛文4年(1664年)には徳川光圀の兄である高松藩主 松平讃岐守頼重の下屋敷となりました。この頃に、荒れていた園地が整備され、大規模な回遊式庭園が築かれたとされています。園内の老松は当時の庭園の名残だと思われます。
明治時代には火薬庫となり、軍部の管理となりましたが、大正時代に火薬庫は廃止され、宮内省帝室林野局の所管となり白金御料地と呼ばれ、大正10年(1921年)に朝香宮の邸地(現在の東京都庭園美術館)になりました。
昭和になると文部省の所管となり、昭和24年(1949年)に全域が天然記念物・史跡に指定され、国立自然教育園として一般に公開されました。 敷地面積は約20ヘクタール。
東京都庭園美術館を見学に行ったら、すぐ横に自然教育園があったので見学してきました。
案内図を見ると、東京都庭園美術館の敷地を不自然にくり抜いたような敷地になっていました。これは以前、同じ高松藩の敷地であったのが、大正時代に朝香宮邸として分割されたためです。
周囲は中世に築かれた土塁に囲まれ、敷地全体的にシイ、マツなどの常緑樹とコナラ、ケヤキなどの落葉樹の巨木で覆われています。都会の緑地としては20ヘクタールと広大でく、中ではここが東京ど真ん中の港区??? と思えるほど静寂な空間が流れています。立ち入り禁止の園路もあり、手つかずの自然がこの都会に存在することに驚かされます。
ここは、特に何があるわけではなく、自然を満喫する場所です。季節によっては正門から水生植物園に向かう園路に咲く、黄色、白、紫、サクラ色等、色とりどりの花を楽しめます。何も足さない場所だから良いのでしょう。