浄土寺庭園 |
浄土寺は、推古天皇の24年(616)に聖徳太子が開基したと伝えられています。平安時代末期に、高野山に縁を結んだ後に荒廃しましたが、嘉元元年(1303)に、奈良西大寺の定證上人によって堂塔を造営するなど再興されました。20年後の正中2年(1325)に焼失しましたが、嘉暦元年(1326)に本堂、山門、多宝塔、阿弥陀堂が再建され、現在までその姿を保っています。江戸時代には京都皇室の菩提所である御寺泉涌寺の末寺に属して大本山となりました。この寺は、足利尊氏所縁の寺としても知られ、建武3年(1336)に九州に下る際には、戦運挽回を祈り、後の東上する時は、和歌33首を詠進しました。
書院の奥にある庭園は、文化3年(1806)雪舟13代を名乗る徳島の長谷川千柳によって作庭されました。 築山を天竺の山に、流水と池はヒマラヤの北にある竜王の住む金銀で彩られた想像上の池「無熱池」に見立てて造られており、礼拝石に立つと正面に本尊石を拝め、庭全体が仏の世界を表しています。
山畔を利用して築山とし、その中央から小滝をを山裾にある小池に落とした築山泉水庭で、築山には100近く石を配して「本尊石」「叉伽石」「仙人腰掛石」などと各々神仏の名前が付けられています。植栽は、サツキ、ソテツ、カエデなどがバランスよく配され、また麓には白砂敷になっていることから、江戸中・末期に流行した「築山庭造伝」式枯山水の様式になっているとも思われます。
築山左上にある織部好みの茶室「露滴庵」は、庭の完成してから8年後に、尾道向島の海物園から移築されたものですが、もとは京都伏見城内にあり、秀吉愛用の茶室と伝えられています。「露滴庵」は、薮内家「燕庵」の写しでもあります。国指定名勝。
先日亡くなった昭和の大女優 原節子が出演した「東京物語」(監督小津安二郎)のロケ地で、笠智衆が境内から尾道水道を見て、ただたたずんでいるシーンが印象的な浄土寺に行ってきました。
この辺りは、海岸沿いの平地が少なく、すぐ丘陵地帯になるので、狭い場所に密集して町が造られています。わざわざ浄土寺の参道の途中にJR山陽本線を引いたことから、街づくりの苦労の跡がうかがえます。山門をくぐり本堂で見学の旨を伝えると、担当の方が境内を約25分かけて案内してくれます。仏像や貴重な曼陀羅図などの絵画の説明も丁寧にしていただけるのですが、このため庭園の見学時間はあまり取れず、また、庭園内に降りての散策もできなかったは消化不良でした。茶室「露滴庵」も近くまで行くことができず、遠くから屋根のみしか拝見できなかったのも心残りです。
庭園は、約300坪あり、白い砂、濃緑の苔、群青の小池、薄緑の山畔と奥に向かってはっきりした色彩の変化が印象的です。庭の奥に茶室が見える少し特殊な配置をしているのは、土地の限られた尾道だからでしょうか。茶室に向かう園路は、先が細く絶妙なカーブになっており、書院からは先がどうなっているのかわからず、行ってみたいとの欲望を感じさせてくれます。全体的にこじんまりしていますが、白砂敷を広めに取っているので閉塞感を感じることはなく気持ちのよい空間を楽しませてくれます。叶うなら落ち着いて鑑賞してみたい庭ですね。