衆楽園 |
![]() |
衆楽園は、津山藩2代藩主 森長継が明暦3年(1657年) 京都から小堀遠州流の庭師を呼び寄せ、仙洞御所を模して造営させた大名庭園です。
池泉回遊式庭園で、作庭当時の面積は、今の約3倍 23,504坪の広さを誇っていましたが、現在は約8,900坪となりました。御殿が作られ、城主の清遊の場として、または、他藩の使者との対面の場となっていました。津山藩では防備上、他藩の使者を城内に入れずここで対応したので、衆楽園は「御対面所」と呼ばれていました。
その後、森氏の後に入封した松平氏がたびたび改修し、明治3年(1870年) 時の藩主 松平慶倫が「衆楽園」と命名し、一般に公開しました。明治4年(1871年)の廃藩後、多くの建物が取り壊され規模も縮小し、一時「偕楽園」 その後「津山公園」と改称されましたが、園地主要部分は残り、大正14年((1925年)再び「衆楽園」と改称し、現在に至っています。
庭園は、中央に池泉を配し、南北の直線上に紅葉島、浮島、中島、露島を浮かべ、それらを土橋でつなぎ、池の周りには小川が流れています。また、出島が各所につくられており、中島は四方から観賞できるよう工夫され、視覚を変えて景観の違いを楽しむことができます。また、初夏には見事にスイレンが咲き誇ります。 国指定名勝。
西の小京都 岡山県津山にある「衆楽園」に行ってきました。
庭園に入ると、まず池一面の睡蓮の華やかさに足が止まります。小さいが存在感のある睡蓮の花の迫力をしばし堪能した後に、整頓された園内を歩いていきます。横は学校らしく、境界に防球ネットを設置しており、衆楽園の景観を邪魔しているのは残念ですね。
園内の建物は現存せず、今あるものは全て再現したものです。建物の中を見学できないのは少し消化不良でした。
余芳閣から池を見る景も美しいですが、おすすめは池の反対側にある園路です。ここは。園路の両脇に流れがあり、初めて見る技法でこれも面白いと思わされました。訪れた際は、入口から遠いですが、是非散策してみてください。
無料ということもあり、敷地内は庭園と公園をミックスしたような感じで、園路をジョギングしている人も見受けられます。このため、庭園としての重厚さはあまり感じられませんが、家族で散歩やお弁当を楽しむにはいいところですね。