猿江恩賜公園 |
この付近は元は芦の茂った沼沢地帯でしたが、慶長3年(1596) 深川八郎右衛門が、今西甚兵衛など6名と一緒に開拓し部落をつくったとされています。元禄12年(1669) 元木場(佐賀県福住町付近)にあった木場を一時ここに移し、元禄14年(1701) 現在の木場を構築移転するまで貯木場として使われていました。享保19年(1734年) 本所横網町(墨田区)の材木蔵をここに移し、明治維新まで幕府の貯木場として用材の提供と木材の備蓄をしていた幕府材木蔵でした。
明治元年7月7日 明治新政府が接収し、明治2年4月8日 内国事務局(のちの内務省)土木司の所管となり国有財産になりました。明治17年6月26日に皇宮地付属地(のちの帝室財産)となり、南葛飾郡第一御料地となりました。
大正13年1月26日に皇室から皇太子御成婚を記念して、貯木場御料地のうち 65,214㎡を無償で東京市に払い下げを受けました。東京市は昭和4年~5年にかけ、8万円の工事費を投じて猿江恩賜公園を建設し、昭和7年4月29日に開園しました。その後、改修、拡張を経て、現在の面積は145,088㎡となりました。
在りし日の面影はありませんが、ポイントにこの場所の歴史を感じさせます。日本庭園のある南園には滝組、池、流れ、芦、北園には貯木場をモチーフにしたミニ木蔵などに設計の意図を感じます。
この日本庭園は単体としてではなく、公園の一部の施設として楽しむ場所です。都会では珍しい水琴窟もありますので試してみてください。