新宿御苑 |
プラタナス並木が美しいフランス式整形庭園、広大な芝生にユリノキが高く聳えるイギリス風景式庭園、回遊式の日本庭園が巧みに組合わされた、明治を代表する近代西洋庭園で、日本の数少ない風景式庭園です。
樹木は2万本を超え、我が国に初めて取り寄せられたといわれるユリノキ、プラタナス、ヒマラヤシーダー、ラクウショウなど巨木が多数植栽されています。また、春には約1500本の桜が、秋には皇室の菊作りの伝統を受け継いだ菊が人気となっています。大温室は明治初期からの歴史を持っており、約2370種が栽培されています。
新宿御苑の敷地は、天正18年(1590年) 徳川家康が譜代の家臣である内藤清成に授けた江戸屋敷の一部で、明治5年(1872年) 明治政府が内藤家から買い上げた土地と隣接地を合わせた59haの敷地に、近代農業の振興を目的とした内藤新宿試験場を設置しました。明治7年(1874年)には内務省所管となり、農事修学所が設置され、また、明治12年(1879年)には宮内省所管となり、新宿植物御苑と名称変更し、鴨池、養殖池、動物園の設置など皇室の御料地、農園として運営されました。
このころ、欧米の園芸の輸入や、民間への技術普及にも力を入れ、我が国で初めて温室を用いたラン等の花卉栽培、ヒマラヤシーダー、ユリノキ、プラタナス等多くの外国産樹木の植栽を行いました。
明治31年(1898年) 新宿植物御苑の責任者となった福羽逸人が、明治33年(1900年) ベルサイユ園芸学校教授 アンリー・マルチネーに新宿植物御苑を庭園に改造し、新宿御苑とする計画の設計を依頼し、明治35年(1902年)から4年の歳月をかけ明治39年(1906年)5月に完成しました。(ほぼ現況に近いアンリー・マルチネーが描いた鳥瞰図が残っています)
大正年間には西洋庭園が9ホールのゴルフコースとして利用されるようになり、観桜会も始まりました。また、昭和4年(1929年)から観菊会が始まったことにより、桜と菊の体制の充実が図られました。
昭和20年(1945年)5月の空襲では、台湾閣と御休所を残してほぼ全焼という大きな被害を受けました。
昭和22年(1947年)には厚生省の所管となり、昭和24年(1949年)5月21日に「国民公園新宿御苑」として一般開放されました。昭和46年(1971年)には環境庁に所管が変更されました。面積58.3ha 周囲3.5km
新宿駅からも歩いていける新宿御苑に行ってきました。
4月初旬ということもあり桜が満開でしたので多くの人が訪れていました。入場制限があったので、遅く来た人は入口で待たされるので、この時期には早く来るほうが賢明ですね。
園内はとにかく広い!!!
歩いて見るだけでかなりへとへとになります。なにせ、フランス式整形庭園、イギリス風景式庭園、日本庭園の3つがひとつの公園内にあるのですから。
フランス式整形庭園は、巨樹のプラタナス並木が壮大です。4月ということもあり葉がありませんでしたが、秋などは紅葉と落ち葉でかなりいい写真が撮影できそうです。
イギリス風景式庭園はユリノキ等の巨樹が多い芝生広場です。普段、見ることができないような巨樹をみながら家族でお弁当を食べるのはいいレクリエーションになります。
日本庭園は上の池から下の池まで延々と歩いて散策できます。日本庭園の後ろに現代の代表的な建築物、都庁が浮かび上がり、面白い構図が楽しめます。途中にある旧御凉亭は、昭和天皇のご成婚を記念して台湾在住邦人が献上した中国風凉亭で、日本庭園の中に存在するのは不思議な感じがします。何故かタギョウショウが多く植栽されているのも不思議で意図に興味があります。
新宿で買い物の帰りにチョット立ち寄る都会のオアシスといった感じでしょうか。