詩仙堂 |
詩仙堂とは、正しくは「凹凸窠」の一室で、中国の漢晋唐宋の詩家三十六人の肖像を狩野探幽に描かせ、各詩人の詩を石川丈山自ら書いて四方の壁に掲げた"詩仙の間"を中心としているところから「詩仙堂」とよばれています。
寛永18年(1641)、石川丈山(当時59歳)が落成。徳川家康側の武将として、大坂夏の陣に参加した石川丈山は、家康が兵力を無駄に減るのを恐れ、攻撃を控えるように命令していたのを無視し豊臣側を攻めたので怒りをかい、ここで没するまでの約30年間、隠棲生活を送りました。
石川丈山は、武将でありながら儒者であり、漢詩人であり、書家であり、茶人であり、造園家であったという多岐に渡って才能のある人でした。サツキの刈り込み物、石川丈山が発案したといわれている鹿おどしはあまりにも有名です。
京都駅でタクシーの運転手に「落ち着ける庭に連れて行って下さい」とお願いし訪れたのが、ここ「詩仙堂」です。すっかり気に入ってしまい、私の好きな庭の一つになりました。京都の庭としては清水寺や天龍寺と比べると知れ渡っていないので、観光客もそれほど多くなく、これが庭を落ち着いてじっくりと心ゆくまで堪能できる場所となる理由だと思います。
最初の感想が、美しい、あまりにも美しいでした。当然のことながらチリひとつ落ちていないアプローチ。門をくぐると現れる延段と白砂。建物に入って広がるサツキの刈り込み。園内は回遊式になっており、発祥の地とされる鹿おどし、切り取ってしまいたいような苔むした築山と花木、地被類の調和等、これが本場京都の庭なんだとあらためて見にきてよかったと思わせられました。ここと、「曼殊院」はおすすめです。是非自分の目で見て確かめてください下さい。