安養院庭園 |
太山寺安養院は、霊亀2年(716)定恵和尚(藤原鎌足の子)が創建し、宇合(藤原不比等の子)の建立と伝えられています。南北朝時代には、播磨の一大法城として子院41ヶ坊を持ち、増兵も養い寺勢を誇っていました。
書院の前にある庭園は三身山の原生林をを借景にした枯池式枯山水庭園で、中島(亀島)を設け、蓬莱石を配した中国古来からの蓬莱神仙思想で造られています。蓬莱石の左には細長い立石があり、蓬莱石と合わせて亀石組になっています。また、右手の円錐形の立石は鶴の羽を象徴的に表現しています。
庭園内に4ヶ所配している板状の立石は、遠山石(遠景の山を象徴とした石組で、遠山から流れた水流がやがて滝になって落ちる表現)と推測され、自然の山々を石で表していると思われます。石橋の手前にある洞窟石組は神仙の住む洞窟を表しており、洞窟の上に石橋が見えるという構成で、下部を渓谷風にし、神秘性を増しています。桃山時代には洞窟を模した庭園が多く見られ、この庭最大の特徴にもなっています。国指定名勝
神戸の郊外にある安養院庭園に行ってきました。
ここは公開期間が決まっていることを知らず、わかりにくい道を苦労して行ったのに閉まっていたことがあったので、2回目はちゃんと調べて行きました。(公開は4月下旬~5月上旬、11月中旬~下旬)
訪れたのが秋だったので、書院に座して庭を見ると紅葉黄葉の鮮やかな色彩と、モノクロの庭との対比の見事さに心を「奪われます」。
凄まじい勢いのある石組は、その立て方、数で書院にいる自分に向かってくるような感じがし、圧倒されます。武装をしていた寺の歴史があるこら、このような石組になったのではないかとも思わされます。