田淵氏庭園 |
田淵家は代々「川口屋」として製塩業を営んでおり、この地には延宝元年(1673)に藩命で塩田を造成するために移ってきました。その後塩田を増やしていき、元文元年(1736)には大庄屋格になりました
四代目の市兵衛・春元は赤穂藩の蔵元(財務担当)なり、藩主が来臨されることから、宝暦年間「明遠楼」を建設しました。五代目の九兵衛・政武は茶の湯を好んだことから、京の茶匠 久田宗参に師事し、宗参に依頼して茶室「春陰斎」と茶庭を造りました。六代目の九兵衛・政俊は藩主御成りの間を有する書院を建て、翌年に久田宗参に手によって作庭されました。
田淵氏庭園は、茶亭露地と書院庭園からなり、三崎山の傾斜を利用して山際に茶亭、平地に書院を配しています。上部に「明遠楼」、中腹に「春陰斎」、下部に書院と池庭があり、「春陰斎」を中心に中門や腰掛待合が配され、上部の「明遠楼」と下部の書院を巧みにつないでおり、全体が一つの庭として見事に融合しています。
田淵家は代々茶の湯をたしなみ、普請を重ねてきたので、庭園は一代で完成したものとは違う趣があり、茶趣の上に構成され、「わび・さび」の風情が漂う数奇な庭となりました。国指定名勝
塩が名産の赤穂で、製塩業で財を成した田淵氏の庭園に行ってきました。
庭園は期間指定公開で、隣接する田淵記念館から係員に誘導され庭を見て歩きます。このため、自由な行動ができなかったのはちょっと残念でした。園内に下から入るので、まず書院の庭から見学します。この庭は、自然の岩をそのまま生かしているので、護岸が荒々しく、また、ソテツも雄々しく茂っている力強い庭になっています。中腹に上がっていくと茶庭がありますが、一転して柔らかい庭となり、意図して対比させ、面白味を庭に与えたような感がしました。一番上の「明遠楼」は、その名の通り遠くまで見通せて、さすが藩主が訪れるような場所だなと感心させられます。