恵林寺庭園 |
恵林寺は、元徳2年(1330)に作庭家としても知られた夢窓国師によって開山しました。元は、当時の領主 二階堂道蘊の邸宅でしたが、請われて禅院に改めたのが始まりです。後に、甲斐の国の戦国武将 武田信玄の菩提寺となりました。織田信長によって焼き打ちされましたが、徳川家康によって再興され、六義園を造った柳沢吉保によって補修が行われました。
本堂裏にある池泉回遊式庭園は夢窓国師が作庭したと伝えられ、乾徳山を借景としています。上段は、枯山水の須弥山石組で左側の鶴亀石組とともに鎌倉時代のものが残っています。下段には心字池、滝石組を配し、中島には石橋が架けられています。上段の須弥山石組と、下段の滝石組、池の岩島、対岸の出島の先端が一直線となる力強い構図になっています。また、サツキの刈込が多く植栽され、春には彩られた庭園が楽しめます。国指定名勝
夢窓国師が作庭したと伝えられる恵林寺に行ってきました。総門から重要文化財の四脚門、「心頭滅却すれば火も亦た涼し」と織田信長の焼き打ちの際に門の上で快川国師が唱えた三門を抜け、恵林寺まで歩いて10分ほど掛ります。寺に入ると、武田信玄、柳沢吉保の墓があり、方丈の裏に庭園があります。庭は上段に枯山水、下段に心字池というちょっと不思議な構図になっています。庭園自体はとても迫力があり、見ているだけで背筋が伸びる気がします。やはりここは禅寺だなと感じました。