普門寺庭園 |
普門寺は、明徳元年(1390)に、建長寺開山の蘭渓道隆の法をくむ設巌和尚によって開創された禅寺です。その後荒廃しましたが、室町時代末期の永禄年間に、室町幕府摂津官領 細川晴元や、14代将軍 足利義栄の居城となり、普門寺城と呼ばれ多くの堂塔伽藍をもつ大寺となりました。
江戸時代になると、妙心寺派に移り、京都の龍安寺末寺となり、九世竜渓宗潜によって方丈が現在の場所に移築されました。また、長崎より隠元を迎え、後水尾天皇などの僧俗が集うなどおおいに繁栄しました。
その後、明治時代の廃仏毀釈、戦後の農地解放で、現在の本照寺、三輪神社、旧富田小学校まであった敷地が減少し、寺は荒廃してしまいました。長らく無檀家でしたが、昭和末期に新たに住職を迎え、方丈が国の重要文化財に指定されるなど、少しずつ寺勢が復興してきています。
玉渕坊の作の庭園は、正保頃の寺観整備にともなって作庭されたと言われ、桂離宮の石組が取り入られています。国指定名勝
大阪の高槻にある普門寺に行ってきました。住宅街の中にあり、かなり細い道だったので、本当にここにあるのか心配になりましたけど。
見学には、事前に予約が必要なこともあり、見学時には私一人でした。歴史ある寺院と庭園が貸し切り気分で楽しめるので、とてもゆっくりと鑑賞できました。寺院内は、住職の奥さんが解説してくれ、昔は隆盛を誇ったが、明治以降は荒廃し、やっと復興してきたことなどドラマチックな歴史を丁寧に話してくれました。残念ながら、枯山水の名勝庭園も、荒廃時に、石を他に持って行かれたそうです。
山門をくぐると方丈が見え、左側に昭和の古庭園研究家 森蘊博士が作庭した「心字の庭」があります。この森蘊博士により、普門寺の枯山水庭園の素晴らしさが認識され、名勝庭園に認定されるきっかけになりました。
枯山水庭園は、一般的な砂利敷きではなく、土やコケで覆われていました。作庭時には砂利で、荒廃したときにこのような形になったのかもしれません。石は非常に柔らかな印象があり、禅寺の威厳のある神々しさは感じられません。枯山水庭園の前に作られた森蘊博士の庭も、優しく穏やかな庭なので、時代を超えた調和があり、絶妙なハーモニーを楽しませてくれます。