龍泉寺庭園 |
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龍泉寺は、推古天皇2年(594)に仏教興盛のため、蘇我馬子が創建したと伝えられています。寺伝によると、この地に悪龍が住む池があり、人々に害を与えていたので、馬子が修法を行ったところ、龍は仏法の威に勝てずに飛び去りました。しかし、水が枯れて寺も里も衰退してしまいましたが、弘仁14年(823)弘法大師が加持祈誓すると、法味に感じた龍が再来し、水が豊かになり、3つの池ができました。大師は、それらの島に聖天、弁財天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守にしました。
天長5年(828)、淳和天皇の命をうけた藤原冬緒が伽藍を再興し、本尊を薬師如来として僧房を23も周備していましたが、南北朝時代、楠正成が龍泉寺山に城を設けたため兵火にかかり、ほとんど焼失してしまいました。江戸時代になり、白木藩主の石川氏から崇敬を受け、度々の修理を経て今日の姿になりました。
庭園は、南北60m、東西45mあり、南北一列に3島を配しています。中央の中島には弁財天を、左島には叱天、右島には聖天を祀り、また、池水は信仰と観賞を兼ね合わせたものと推測されており、その形態は、寛文9年(1669)の古地図とほとんど変わっていません。この地方にまれな、鎌倉時代に造られた貴重な庭園です。国指定名勝
名勝庭園はどこも整備されて、訪れた私たちに素晴らしい景観を見せてくれますが、ここは違います。
池はやけに濁っていて、しかも倒れた木が池に数本浮いており、管理に手が入っていないのか、それとも自然の姿を大切にする主義なのか・・・たぶん前者だと思いますが・・・