旧古河庭園 |
明治時代から大正時代にかけて発達した和洋折衷庭園で、元は明治の元勲・陸奥宗光の別邸。次男が古河家の養子になったため、古河家に譲渡されました。
鉱山王 古河市兵衛の依頼により、イギリス人建築家 ジョサイア・コンドルが邸宅と洋風庭園を設計し、京都の庭師 植治こと7代目小川治兵衛が和風庭園を作庭しました。
洋館の周囲と下段に洋風庭園が、さらに下段に和風庭園が造られ、武蔵野台地の起伏を巧みに利用しています。洋風庭園はツゲを丸形や四角形に刈込み、左右対称の幾何学模様にしているのが特徴で、和風庭園は心字池をめぐる池泉回遊式になっています。
戦後、国へ所有権が移りましたが、地元の要望などを取り入れて、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されました。名勝。面積 約30,780㎡。
植治の庭ということでどのような庭か楽しみにしてきました。
洋館と和風庭園という一見アンマッチの組み合わせに見えますが、敷地全体が斜面に造られているので洋館からは下の和風庭園は見えません。このため、違和感なく散策することができました。洋館はテレビでしか見たことのないような立派な造りの建物で、また周りの洋風庭園は幾何学的に配置された低木が美しく刈り込まれていて、イギリス庭園というより、イギリス、フランス庭園といったような感じがしました。
和風庭園は、大きな雪見灯篭が目を引く回遊式庭園で、大名庭園よりこじんまりしていますが、非常に落ち着きのある庭です。個人でこのような庭園を所有していたのですから、昔はすごい時代だったなと思わされました。