医光寺庭園 |
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もとは天台宗崇観寺で、開山は東福寺で法経 竜門士源。貞治2年(1363)齋藤長者の妻、法名直山妙超大姉によって創建され、益田七尾城6代城主 益田兼弘の保護と援助を受け、そして5代目住職として雪舟が来山し、繁栄しました。園内には雪舟を荼毘に付した灰塚があります。
しかし、益田七尾城14代城主 益田宗兼が医光寺を崇観寺の東方に建立し、保護を加えたことから崇観寺は衰退し、さらに寺堂が焼失したことから医光寺と合併しました。享保14年(1729)の大火で延焼しましたが、再建され現在の姿になりました。
庭園は、裏山を利用した池泉観賞半回遊式で、文明10年(1478)頃に来山した雪舟によって作庭されました。鶴を模った池の中に亀島を浮かべ、亀の背後には三尊石を配し、西側には須弥山石から枯滝石組を作っています。山畔を利用した上下二段式意匠になっており、右の山際には大きなシダレザクラ、左にはモミジの古木を配しています。面積2198㎡ 国指定名勝・史跡