宮良殿内 |
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1819年 八重山の頭職の地位にあった宮良(親雲上)当演時代に建造されました。首里の貴族屋敷をまねた建築といわれています。王府時代の住宅建築は階級や制度による規格があり、八重山の頭がこのような家屋敷を構えるのは違法であるとして、5回にわたって首里王府から取り壌しを命じられましたが従わず、1874年、検使の譴責にあい茅葺きに改められ、廃藩置県後、現在の本瓦葺きになりました。周囲を石垣で囲い、東南面に表門(四脚門)を設け、前庭と中庭を配し,東側に庭園を築いています。建物は木造平屋建てで周囲に雨端を設けています。庭園は琉球石灰岩の巨石を多く配し琉球庭園の特徴を遺憾なく発揮した造りで、住宅および屋敷の構えの整備に伴い作庭されたものと考えられています。
庭にはフクギやソテツなどが植えられ、地元でとれる琉球石灰岩を主な材料とした5つの築山が北側を高くして南に次第に低くなるという構成で築かれています。また、三の山と四の山の間には石橋もかけられており、庭全体に独特なアクセントを加えています。 設計指導は首里の造園師 城間親雲上(ぐすくまぺーちん)の作と伝えられています。 国指定名勝
日本最南端の名勝庭園になるのでしょうか。4月に行きましたが夏のような暑さでした。外から見ると古い琉球民家のように敷地は狭く、言われなければ名勝庭園とは思えないほどでした。日本庭園の影響か、庭は枯山水を基調にしていますが、材料は石灰岩、ソテツ、フクギ等を使用しているので、琉球王朝風枯山水庭園と言えるのではないでしょうか。
この庭園の好みは分かれそうですが、独立国家であった琉球王国の庭と考えれば、興味深く見れると思います。