明月院 |
アジサイの名所 「明月院」は、永暦元年(1160年)に平治の乱で戦死した首藤刑部大輔俊道の菩提供養として、俊道の子、首藤刑部太夫山ノ内經俊によって、「明月庵」として創建されました。その後、康元元年(1256年)、北條相模守時頼公によって「最明寺」が現在の明月院西北の場所に建立され、「明月庵」は「最明寺」の塔頭の一つとなりました。後に、「最明寺」は時頼の子北条時宗によって開山を守厳禅師とした「禅興寺」と改めました。
康暦2年(1380年)、時の関東公方 足利氏満が管領 上杉憲方に「禅興寺」の中興を命じ、伽藍を完備し、寺域を拡大させました。しかし、足利氏以降は衰退し、逆に塔頭の「明月庵」に附属する形となり、明治初期には廃絶しました。現在は、「明月庵」を改名した「明月院」だけが残りました。
今日では、俗に「あじさい寺」と呼ばれ、アジサイの名所として親しまれています。ここにあるアジサイは、95%が日本在来種であるヒメアジサイです。
あじさい寺として有名な鎌倉の明月院に行ってきました。
6月のシーズンまっただ中ということもあり、園内は人、人、人で想像以上の人がいっぱいでした。特に平日ということもあり、女性の方が多く来園されていました。
まずはやはりアジサイの迫力を感じさせられます。狭い園路が多くの観賞したり撮影したりする人で溢れかえり、園路の両脇にせり出したアジサイに否が応でも接近し、多くの青く鮮やかな和アジサイを体全体で感じさせられます。それは圧迫感もありますが、アジサイが訴えてくる色彩、香り、表情を真近で受け止めさせてくれます。
アジサイの園路を抜けると、枯山水庭園、本堂が見えてきます。ここでは、枯山水庭園は後ろの山を借景とした風景画のような広がりを、本堂は丸窓から後庭園を凝縮した視野で見る狭まりを、まったく相反した構図を同じ位置で見せてくれます。これは意図して造ったものなのでしょうか?
後庭園はちょうど花菖蒲の季節で、散策しながら単純に万人が楽しめる花や流れの景観を楽しませてくれます。
ここは、花木やモミジが多く植栽されており、アジサイだけでなく、木々を1年通して楽しめる場所なので、梅雨の季節以外にも訪れてみたい場所ですね。