旧赤穂城庭園 |
赤穂城は、常陸国笠間(現在の茨城県笠間市)から入封した浅野長直が、近藤正純に命じ、慶安元年(1648年)から寛文元年(1661年)までの13年間かけて築城しました。城は熊見川(現千種川)が形成した三角州の先端に位置している平城で、往時は二之丸と三之丸が瀬戸内海に面していたので海城でもありました。
浅野家はご存じの通り、元禄14年(1701年)江戸上での刃傷事件によって断絶してしまい、その後は永井家を経て森家の居城となりました。明治の廃藩置県後、城郭が取り壊され、場内の大部分は田畑や宅地、その後中学校も建てられました。
昭和46年(1971年)の国指定史跡後、史跡及び都市公園として整備されるようになりました。
庭園は本丸内の本丸庭園と、二之丸北西部の二之丸庭園の2つあり、潤沢な水を引き込んだ池泉を持つことが大きな特徴で、城郭内に造られた庭園としても貴重なものです。この庭園は地中に埋没していましたが、発掘調査により発見されました。
本丸庭園は、御殿南面の大池泉、中奥坪庭の小池泉、本丸北西隅のくつろぎと呼ばれる池泉があり、発掘後、往時の姿に復元されました。大池泉は浅野家時代に造られた後、森家時代に改修され、岬・入江・中島・景石を配し、池底には板石や瓦を敷き並べています。大きさは東西38m、南北26m、外周約150mです。小池泉は、二つの並列した池泉から構成されており、南側護岸には漆喰に玉石を配した霰こぼし状になっています。 本丸面積15,114㎡
二之丸庭園は、平成10年(1998年)~平成13年(2001年)にかけて発掘調査が行われ、現在は復元作業を行っています。国指定名勝
赤穂浪士で有名な赤穂藩の居城 赤穂城に行ってきました。
まず、立派な本丸門に遭遇します。この門は、約230年間存続していましたが、明治10年代後半に取り壊されてしまいました。このため、地域中核史跡等整備特別事業として、国、県の補助を受け、6.7億円かけて平成8年(1996年)に完成しました。
本丸内に入ると、城のたぐいは何も残っておらず、コンクリートの大きな舞台みたいなものがありました。このコンクリートは、城が存在した時、この場所は何の部屋であったか記したプレートを埋めて訪れた人に城の雰囲気を味あわせています。ちょっと寂しいですね。
コンクリート舞台の右側に「くつろぎ」という名の池泉があり、ここは浅野内匠頭や、大石内蔵助などと書かれた木簡が発見されたそうです。本丸の奥には大池泉があり、ここは見事に復元されています。在りし日、城から眺めていた殿様の気分で池泉を見てみます。池の背後に何があったかわかりませんが、樹木など視線を妨げるものが無いとするならば、その先は瀬戸内海だったので、見通せる空と池泉の景は、シンプルながらスケール感のある壮大な感じではなかったかなと思わせます。
二之丸庭園はまだ残念ながら工事中です。パンフレットを見ると、本丸庭園以上に広大で、舟遊びや茶亭で茶事を行っていたと記載されています。いつ完成するのか知りませんが、復元が楽しみですね。