清見寺庭園 |
元は、7世紀後半の白鳳年間、東北の蝦夷に備えて関所が設けられ清見関と呼ばれていました。そして、傍に関所の鎮護として仏堂が建立されたのが始まりです。平安時代は天台宗の寺院であったと推測されています。
鎌倉時代には禅宗に改宗された後、鎌倉時代の中頃、関聖上人がこの地を訪れ、郷の長者 浄見氏の助けを借りて清見寺を再興しました。
室町時代は、足利氏、今川氏の庇護を受けていましたが、戦国時代になると、山と海に近く自然の要塞となりえたここと、今川、徳川、武田、北条等、強力な戦国大名の領地拡大戦略を受けて、清見寺はしばしば陣となり、甚大な被害を被ることになりました。その後、今川義元の庇護をうけ、太原崇孚(たいげんすうふ)禅師が復興しました。また、徳川家康が今川家の人質となっていた時、ここで太原和尚より教育を受け、現在でも当時使用した「手習の間」が残っています。
江戸時代には、二百余石の朱印地を有し、徳川一門の帰依を受けていました。
庭園は池泉回遊式庭園で、当初、徳川家康の意向が入れられ、駿府城より虎石、亀石、牛石を移して配し、柏を植えました。作庭は、江戸時代の初期、山本道斉によって行われ、山の斜面にサツキ、ツツジの刈込と石組を配し、馬蹄型の池を造りました。江戸中期には、改修がありました。国指定名勝
静岡の清水にある清見寺に行ってきました。
まず、駐車場に車を止めると門がありますが、この門をくぐってもすぐ寺ではなく、東海道線が間に横切っています。なんか不思議な感じがしましたが、昔の絵図面を見ると総門の先に山門があるので、もともとは線路もお寺の土地だったのでしょう。
山門をくぐると、大方丈の前庭があります。綺麗に整備された芝や臥龍梅を見ていると、ここでもうこの寺はしっかり整備されているなと感じさせられます。
大方丈の中に入ると、血天井にビックリします。梶原景時が西国に赴く途中、ここで一戦を交えたそうで、本物の血痕だそうです。
主庭は、裏山の急斜面を利用して作庭されています。かなり急勾配なので、訪れた時には少しがけ崩れを起こしていました。手前に砂利が、奥に池泉と植栽、そして山から滝が流れています。ここには、家康が駿府城から持ち込んだ虎石、亀石、牛石や、お手植えの柏があります。柏は思っていたより小ぶりでした。当日、庭を見ていたら急に雨になりました。雨で濡れた砂利、景石、樹木がコントラストを生み、濃く鮮やかな景観となったのは新たな発見でした。今まで晴れの日を狙って庭園に訪れるようにしていましたが、雨の日もこんな利点があるのだと再認識させられました。この他に、書院の裏庭や中庭があり、どれもしっかり纏まっている庭で、見ている人に安心感を与えてくれます。
また、仏殿の裏には五百羅漢があり、多くの石仏が異なる表情で座っているのに圧倒されます。
ここはしっかり整備されている気持ちのよい場所なので、大方丈に座り心を無にし、ただ時間許す限り眺めていたい そんなお寺です。