沖縄の歴史

沖縄の歴史

原始時代

・大陸と地続きだった沖縄

太古の昔、沖縄は大陸と地続きでした。それは、大陸に生息していた象やシカの化石が、本島南部や宮古島で発掘されていくことや、本島に生息する「イリオモテヤマネコ」がネコの祖先にちかい形態をしていることから推定されています。現在のような琉球列島がに形づけられたのは、更新世(200万年~1万年前)であるとされています。



・旧石器時代

那覇市の山下町第一洞穴遺跡から約3万2000年前の人骨「山下洞人」が、具志頭村(現在の八重瀬町)港川の採石場で約1万8000年前の人骨「港川人」が7体、各々発掘されました。しかし、いつから沖縄に住み着き、どのような暮らしをしていたかはよくわかっていません。また、土器などの人工物もこの時代のものは発掘されていません。

「山下洞人」「港川人」ともクロマニヨン人と同じ仲間で、現代人の直接の祖先であると考えられています。


・貝塚(新石器)時代

7000万年前~12世紀まで続き、土器の特徴から、早期、前期、中期、後期の4期に区分されている時代が新石器時代ですが、この時代の貝塚が多く発見されているため沖縄では貝塚時代と呼んでいます。

主な貝塚として恩納村の「仲泊遺跡」があり、ここでは岩かげや洞穴を住居とし、魚や猪、木の実などの自然の恵みに頼る生活で、土器は貝や木の実などの煮炊きに使われていたと考えられています。

生活は平等で、収穫したものは均等に分けあい、土器の他、石器、骨角器、木製品、貝製品などや、装飾品も出土しています。また、10人程度の小規模な集落であったと推定されています。



・農耕の始まり

やがて、他の集団や、獣から守るために大規模な集団を形成するようになってきました。これが「ムラ」の始まりです。宜野湾市の「安座間原第二遺跡」では53戸の住居跡が発掘されました。

「ムラ」では安定した食料の確保が必要となり、農耕が始まりましたが、はっきりとした開始時期はわかっていません。そして、集団を束ねる「かしら」が出現しました。「かしら」は食料を管理したり、豊作祈願などの祭りを取り仕切り、やがて「ムラ」を支配するようになってきました。



・グスクの始まり

沖縄では城のことを「グスク」と呼びます。12世紀になると、小高い丘に石垣を積んだ「グスク」が造られるようになりました。これは、農耕が始まり、豊かな土地を求めて「ムラ」どおしが争うようになったため、戦いに備えて城を築くようになったためです。また「グスク」からは貝塚時代よりも進んだ道具(鉄製品、中国製の焼物)なども発掘されています。



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