浦添ようどれ |
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浦添グスクの北側崖下にある琉球王国初期の王陵で、「ようどれ」とは夕凪の意味になります。
咸淳年間(1265~1274年)に英祖王が築いたといわれ、その後、14世紀後半~15世紀前半に石垣がめぐらされました。さらに、1620年に浦添出身の尚寧王が改修し、王自身もここに葬られました。岩壁に横穴を掘り、墓室とし、中には中国産の石で作られた石厨子があります。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれています。
沖縄戦で壊滅的な被害を受けましたが、尚家から浦添市に無償提供され、1997年から復元事業始まり、2005年完了後、一般公開されました。国指定史跡。
石畳の坂道を登っていくと、崖に張り出したような石垣が見えてきます。ようどれの前には暗しん御門と呼ばれた加工した岩盤と石積みでできた門がありましたが、戦災で崩れて今ではその面影を少し残すだけになってしまいました。
ようどれ内は、復元事業のおかげで綺麗に整備されており、琉球王朝初期の王の墓とは思えない感じです。ただ、北側の崖という立地条件もあるとは思いますが、何か空気が違うような気がしました。近くに、沖縄学の父と呼ばれている伊波普猷の墓もあるので帰りにお参りしてきました。