蘆花恒春園

蘆花恒春園

概要

都立蘆花恒春園は、「不如帰」(ほととぎす)、「自然と人生」、「みみずのたはこと」など多くの名作を著した徳富蘆花と愛子夫人の旧宅がある恒春園区域と、周辺地域を東京都が用地買収し、児童公園、ドックラン等がある開放公園区域からなっています。

徳富蘆花は、ロシアの文豪トルストイの薦めもあって、明治40年(1908年) 東京市青山から当時の東京府北多摩郡千歳村粕谷に移り住み、恒春園と名づけ晩年を過ごしました。執筆活動を続けながら半農生活を送り、自ら「美的百姓」と称して晴耕雨読生活を送りました。

蘆花の没後10周年に際し、愛子夫人は園内の土地、建物、遺品等を蘆花を偲ぶ公園として公開して欲しいと、東京市に対して寄付を申し出られたことから、東京市は、応急整備の上、昭和13年(1938年)に東京市蘆花恒春園として開園しました。

恒春園区域には、蘆花が植えたモウソウチクの林や、クヌギ、コナラなどの雑木林、遺品を収蔵した蘆花記念館、晩年を過ごした徳富蘆花旧宅、東京市に寄付後、愛子夫人の住まいとして建てられた愛子夫人居宅、昭和2年(1927年)に亡くなった蘆花と、昭和22年(1947年)に亡くなった愛子夫人の墓地があります。

徳富蘆花旧宅は、明治40年(1908年)から20年間、夫婦が暮らした家で、母屋、梅花書屋(表書院)、秋水書院(奥書院)に分かれ、廊下でつながっています。母屋は茅葺き屋根ですが、洋窓ガラスや、洋式トイレなどところどころ西洋のものも取り入れられています。

愛子夫人居宅は、寄付後、愛子夫人の要望で東京市が新築しましたが、実際は、短い間しか住んでおらず、三鷹台に家を新築し、もっぱらそこに住んでいました。現在の花の丘一帯にゴミ集積所ができ、風向きによって悪臭がひどく、悩まされたのが原因と言われています。

蘆花の墓所は恒春園の東側にあり、長兄の徳富蘇峰によって銘を刻まれた墓碑と、原文は墓におさめられた墓誌のレプリカが見られます。総面積 78,583.0㎡ 恒春園区域は約13,800㎡ 東京都指定史跡


住所・連絡先

住所
電話番号
交通
ホームページ
東京都世田谷区粕谷1-20-1
03-3302-5016
京王線 芦花公園駅または八幡山駅から 徒歩15分
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index007.html

感想

小説家 徳富蘆花が晩年を過ごした世田谷の蘆花恒春園に行ってきました。園内に入ると、世田谷でありながら、雑木林やモウソウチクの林など、蘆花が愛子夫人と過ごしていた時代のままの自然が残っています。付近に東京中でも非常に交通量の多い、環状八号線(通称 環八)が通っており、この園内の静寂さのギャップに驚かされます。

鬱蒼とした竹林や雑木林の中を歩いていくと、林の中に徳富蘆花の旧宅である、母屋、梅花書屋、秋水書院が見えてきます。藁葺き屋根の立派な作りの家屋で、何故か見ているだけで気分が落ち着きます。母屋の隣に愛子夫人居宅があり、ここは集会等に利用されています。

蘆花記念館には、外観はこじんまりとしていながら、中は多くの収蔵品や蘆花の足跡が展示されていますので、見ていてまったく飽きないつくりになっています。蘆花恒春園に来たら、庭園や住宅だけでなく、記念館も是非立ち寄ってみて下さい。

ここは、歴史のある静かな庭園や住宅を見ながら散策する恒春園区域、多くの花や花木、遊具やドックランなどレクリエーションの公園として遊ぶ開放公園区域と1箇所で2つの味があり、公園全体で老若男女問わず楽しむことができますので、家族で来園したら1日たっぷり遊べますよ。


写真(クリックすると拡大します)


蘆花恒春園 蘆花恒春園 蘆花恒春園

入口

竹林

母屋

蘆花恒春園 蘆花恒春園 蘆花恒春園

愛子夫人居宅

梅花書屋

秋水書院(左)と梅花書屋

蘆花恒春園 蘆花恒春園 蘆花恒春園

徳富蘆花の墓

開放公園区域 花の丘

開放公園区域 花の丘

蘆花恒春園 蘆花恒春園 蘆花恒春園

大石の土留め

ドックラン

とんぼ池

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岡山 太陽のそばの果樹園
〒716-1131
岡山県加賀郡吉備中央町上竹688-2

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