作庭家・造園家

作庭家

夢窓疎石

夢窓疎石

建治元年(1275年)~観応2年(1351年)  鎌倉時代末期から室町時代(南北朝時代)初期の臨済宗禅僧。後醍醐天皇から国師号を贈られたので夢窓国師とも呼ばれています。西芳寺(苔寺)庭園、天龍寺庭園、瑞泉寺庭園円覚寺庭園恵林寺庭園永保寺庭園など作庭しました。

伊勢国の生まれで、甲斐国で幼少期を過ごし、京都での修業後各地を遍歴しました。作庭した西芳寺庭園はそれまでの寝殿造の一部分として見られていた枯山水と異なり、洪隠山枯山水と呼ばれる豪快な石組を設けて、単独で立派に鑑賞できる画期的な庭にしました。西芳寺は敷地の下部に浄土式庭園もあり、本格的な枯山水庭園への過渡的なものと考えられており、その後の枯山水庭園成立に与えた影響は非常に大きなものがあります。また、天龍寺庭園の竜門瀑、池中立石、石橋一帯を中心としたデザインは、寝殿造や浄土式庭園など、それまでの行事、儀式に使われる庭園から芸術的な庭園に変えていったとも言われています。



雪舟

雪舟

応永27年(1420年)~永正3年(1506年) 室町時代の禅僧で水墨画家。涙で描いた鼠の話があるので、画家としてよく知られています。作庭家としても山口県の常栄寺庭園常徳寺庭園、島根県の萬福寺庭園医光寺庭園小川庭園、福岡県の清水寺本坊庭園などを作庭したと言われているが、確証はありません。

京都 相国寺で修行し、後に明に渡って画法を学びました。代表作は「山水長巻」、「天橋立図」などの水墨山水画で、この山水画が枯山水成立要因の一つとなるなど、庭園デザインに大きな影響を与えました。雪舟自身は中国地方を中心に活動したので、この地方の庭園に雪舟の言い伝えが多く残っています。



上田宗箇

上田宗箇

永禄6年(1563年)~慶安3年(1650年) 安土桃山時代から江戸時代初期の武将で茶人。

豊臣秀吉の家臣として関ヶ原で敗戦後、隠居し僧籍となりましたが、後に還俗し紀州の浅野家に仕えました。ここで荒々しい石庭の粉河寺を作庭しました。後に浅野家が広島に移封後、縮景園の初期作庭を行いました。また、名古屋二ノ丸庭園北庭も作庭したのではないかと考えられています。茶人としては、千利休、古田織部の門下であり、晩年は茶の湯三昧であったと伝えられています。現在の茶道 上田宗箇流の開祖でもあります。



小堀遠州

小堀遠州

天正7年(1579年)~正保4年(1647年) 江戸時代初期の大名で茶人。本名は政一。遠江守であったので遠州と称しています。

江戸幕府の作事奉行として建築、造園で活躍し、頼久寺庭園、二条城二之丸庭園、金地院庭園、皇居二の丸庭園等を、私的には、大徳寺孤篷庵(非公開が残念)等を作庭しました。また、茶人としても千利休、古田織部から茶道を受け継いで、古田織部の後に将軍家茶道指南も務めました。遠州は、織部の「カブク(傾く)」茶道に対して、独自の洗練された美しい「きれいさび」を編み出しました。


茶人系図


本多静六

本多静六

慶応2年(1866年)~昭和27年(1952年) 日本初の林学博士、造園家。日比谷公園、大濠公園など多くの公園をを設計。

現在の埼玉県久喜市の裕福な家に生まれましたが、幼少時に父が亡くなり莫大な借金で生活が一変してしまいました。その後、東京山林学校(後の東京大学農学部)在学中に本多家の婿養子となり、卒業後、ドイツへ林学を学ぶために留学。帰国後、母校の教授となりました。

明治時代の公園黎明期に、最初の洋風庭園である東京の日比谷公園をなど多くの公園を設計した「公園の父」です。日比谷公園は最初ということもあり、西洋の庭園設計書を参考にして設計し、また、市議会などから様々な批判を乗り越えて完成にこぎつけたことは、努力を惜しまず、仕事を道楽と思えることが幸せであるという本多静六博士の考え方があったからこそだと思います。伐採予定だったイチョウを、周囲に無理だといわれても、首にかけても移植するとして、この日比谷公園へ移植した「首かけイチョウ」は、公園の名所になっています。
また、留学時の影響で、経済の自立なくして、自己の確立(精神の確立)はありえないとの考えから、収入の1/4を貯蓄し、株などに投資して巨万の富を築きました。しかし、博士は質素な生活を送り、そのほとんどは寄付しました。



重森三玲

重森三玲

明治29年(1896年)~昭和50年(1975年) 岡山県吉川村出身の作庭家、庭園研究家、書や絵画の他、茶道や華道家としても活躍。

画家を志し、日本美術学校で学ぶが、いけばなに転身。のちに独学で造園の道に進みました。そのためかモルタルなど今までの日本庭園では使われることがない素材を使用し、「モダン」な作風と呼ばれました。主な作品は京都東福寺方丈庭園、松尾大社庭園、岡山の友琳の庭、小倉邸庭園、山口の常栄寺本堂前庭園などがあります。そしてもう一つの大きな功績はなんといっても全国の庭園を自費で測量し、図面化したことです。これは焼失した庭を復旧するのしても正確な図面がないことに憂い、弟子たちと尋常ではないスピードで図面を描き、「日本庭園史図鑑」、「日本庭園史大系」として後世に残したことです。



造園メニュー

岡山 太陽のそばの果樹園
〒716-1131
岡山県加賀郡吉備中央町上竹688-2
tel/fax 0866-54-1075

園主写真



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