龍安寺方丈庭園

龍安寺方丈庭園

歴史

宝徳2年(1450) 管領細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承を開山とし、禅寺として創建されました。しかし、応仁の乱で焼失した後、明応8年(1499)に勝元の子 政元が再興しましたが、寛政9年(1797)に方丈、仏殿、開山堂などが焼失してしまいました。現在の方丈は、西源院の方丈を移築したものです。

方丈庭園は室町時代末期の作といわれ、作者は相阿弥ではないかと考えられていますが、はっきりとしたことは分かっていません。ただ、土塀側の大石裏に「小太郎・清二郎」の刻印が残っているので、この二人の庭師がかかわっていると推測されています。庭園の広さは102坪で、三方を桧皮葺の油土塀で囲まれており、徳島産の15個の石を配し、一面を雲母を含んだ白砂で敷き詰めた枯山水庭園です。この15個の石は、大海に浮かぶ島々とも、虎がわが子を連れて河を渡っているとも、また、雲海の山頂ともいわれ、見る者各々の感性を思い起こさせてくれます。そして、どこから見ても全部見ることができないように配置されており、「1、2個欠けても足るを知る」という禅の思想を庭で表しています。

方丈庭園の裏側に水戸光圀の寄進といわれる銭形の蹲踞があり、「知足の蹲踞」といいます。これは、吾唯足知(ワレタダタルヲシル)と書かれており、これも禅の思想を表しています。国指定特別名勝 史跡


住所・連絡先

住所
電話番号
交通
ホームページ
京都府京都市右京区龍安寺御陵下町13
075-463-2216
JR京都駅から 市バス立命館大学前下車 徒歩7分
http://www.ryoanji.jp/top.html

感想

枯山水庭園で最も知られたと言っても過言ではない、名庭 龍安寺の方丈庭園に行ってきました。しかし、方丈がちょうど工事中で、せっかくの景観が損なわれていたのは残念でした。枯山水庭園はまだましだったのですが、知足の蹲踞や侘助椿の周りには工事用の足場が組まれており、観賞できるような状態ではなかったですね。

枯山水庭園は、さすがに日本でもっとも素晴らしいといわれるだけあって、見ていると俗世間の煩悩がなくなり、何も考えずただ庭の石や砂を眺めているだけ、それだけで心が満たされているような不思議な感覚になります。いったい、このような石と砂の無機質なもので、なぜ心に安心感をもたらす景観を構築できたのかまったくの謎ですね。工事が終わったら、本来の姿を見にまた再訪してみたいですね。その時、もっと心に響くような気がします。


写真(クリックすると拡大します)


龍安寺方丈庭園 龍安寺方丈庭園 龍安寺方丈庭園

山門

庫裡

枯山水庭園

龍安寺方丈庭園 龍安寺方丈庭園 龍安寺方丈庭園

枯山水庭園

枯山水庭園

枯山水庭園

龍安寺方丈庭園 龍安寺方丈庭園 龍安寺方丈庭園

枯山水庭園

枯山水庭園

知足の蹲踞

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岡山県加賀郡吉備中央町上竹688-2

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