吉川元春館跡庭園

吉川元春館跡庭園

歴史

吉川氏は、元々駿河国を本拠としていましたが、鎌倉時代の終わりに大朝本庄(北広島大朝)に地頭として配備され、室町時代には安芸国の北部を治める国人領主にまでなりました。その後、戦国時代に大内氏と尼子氏の間に挟まれ苦境にたたされていましたが、毛利元就の次男 元春を当主に迎え毛利一族となることにより苦境から脱しました。

吉川元春館跡は、吉川元春が天正11年(1583)に隠居所として建設を始めた館ですが、天正19年(1591)に跡を継いだ三男の広家が出雲に移転したことにより館としての機能が失われ、慶長5年(1600)に吉川氏が山口県岩国市に移封されると館は廃墟となりました。

館跡は、間口110m、奥行き80mで、奥に向かって狭まる不整形な敷地になっています。これは当時の館の基準である一町(110m)四方に見えるように、正面(間口)だけ一町にしたと考えられています。

庭園は主庭園と平庭の2箇所あり、主庭園は客人を招いた建物(会所)に面しており、池とその背後に滝石組と三尊石を配した築山があります。平庭は、吉川広家が館を改修した際に、築山を削って造った庭で、築地塀を主庭園との境界とし、砂利を敷いて景石を配しました。この庭は、主殿から会所に向かう廊下から眺める庭で、庭が多くあることを誇示するために造られました。面積 館跡 44,984㎡ 庭園 524㎡ 国指定名勝。


住所・連絡先

住所
電話番号
交通
ホームページ
広島県山県郡北広島町海応寺255-1
050-5812-1785
中国自動車道 千代田ICから車で20分
http://kitahiro-bunka.jp/shisetsu-10.html

感想

「旧万徳院」にほど近い「吉川元春館跡庭園」に行ってきました。

まずは隣接している「戦国の庭 歴史館」に入りました。ここは、館跡からの出土品の展示や、館での暮らしや歴史などを紹介している資料館で、展示数が多く見ごたえがあります。館跡は、台所とその付属建物のみが実際に建物として再現されており、他は建物の基礎だけなので、当時の建物群を再現した模型は全体像を把握する上で参考になりました。

立派な石垣に挟まれた表門をくぐると、館跡に入ります。左手に新しい建築物があり、これが再現された台所になります。中には竈もあり、実際に煮炊きできるようです。右手奥には、主庭園と平庭からなる小振りな庭園があります。主庭園は、池と直線的な流れ、奥には小さい築山と、滝石組、三尊石とシンプルな構成になっています。 隣接して砂利敷きに青い景石が据えてある平庭があり、ここは坪庭程度の小さい庭で、資料を見ないとまったくわかりませんが、在りし日には主庭園と平庭が築地塀で分断されており、別の庭として鑑賞されていたようです。

ここは、大きな芝生広場に小振りな庭園がポツンとあるだけなので、少々、違和感を感じる空間です。庭園も残念ながら観賞し、感動を味わうような空間ではありません。しかし、建築開始からわずか8年後、豊臣秀吉の命により吉川氏が出雲へ強制的に移転させられたことを思うと、若い庭がこれから年月を掛け充実していくはずが、残念ながら廃墟にせざるを得ない運命となった哀しい庭に思えてなりません。


写真(クリックすると拡大します)


吉川元春館跡庭園 吉川元春館跡庭園 吉川元春館跡庭園

表門と石垣

奥から見た館跡

奥から見た館跡

吉川元春館跡庭園 吉川元春館跡庭園 吉川元春館跡庭園

復元された台所の内部

井戸跡

主庭園

吉川元春館跡庭園 吉川元春館跡庭園 吉川元春館跡庭園

滝石組と三尊石

池からの流れ

平庭

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造園メニュー

岡山 太陽のそばの果樹園
〒716-1131
岡山県加賀郡吉備中央町上竹688-2

園主写真



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